学会のあゆみ

(2020年2月8日現在)

日本良導絡自律神経学会 (分立後)
平成10年 (1998) 10月:第7回日本良導絡合同学術大会(合同) を宮崎にて開催 会場:JA・AZM(アズム) 大ホール その他:平成8年頃から10年にかけて、日本良導絡自律神経学会武重会長・日本鍼灸良導絡医学会森川会長ならびに廣田先生、後藤先生が「両学会合併」について、準備委員会を設立して数回にわたって話し合いがなされる。
平成9年 (1997) 10月:第6回日本良導絡合同学術大会を愛知(犬山市)にて開催 会場:犬山国際観光センター
平成8年 (1996) 10月:第5回日本良導絡合同学術大会を東京にて開催 会場:昭和大学上条講堂
平成7年 (1995) 10月:第4回日本良導絡合同学術大会を宮城(仙台市)にて開催 会場:仙台福祉プラザ9月:イタリア良導絡学会開催される。
平成6年 (1994) 10月:第3回日本良導絡合同学術大会を福岡(久留米市)にて開催 会場:久留米大学医学部6月:兵頭正義会長(大阪医科大学教授) ご逝去。 後任として、武重千冬副会長(昭和大学医学部教授) が会長に就任。
平成5年 (1993) 10月:第45回日本良導絡学術大会を北海道(函館市)にて開催 会場:函館ロイヤルホテル
平成4年 (1992) 10月:第2回日本良導絡合同学術大会を東京にて開催 会場:昭和大学上条講堂
平成3年 (1991) 11月:イタリア良導絡支部発会記念学術大会へ本部参加。 10月:日本鍼灸良導絡医学会と合同で、第1回日本良導絡合同学術大会開催を大阪にて開催会場:オオサカ・サンパレス9月:良導絡認定証交付に関する規定を施行、良導絡認定委員会発足。6月:イタリア良導絡支部を承認。4月:日本良導絡自律神経学会会長と日本鍼灸良導絡医学会理事の話し合いで、時機尚早だが、将来の合併に向けて、年1回のぺ一スで合同で学会を開催することで合意した。
平成2年 (1990) 5月:新編集委員会規定を施行。 第42回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
平成元年 (1989) 11月:九州支部、中四国支部、近畿支部、中部支部設立。 第41回日本良導絡自律神経学会学術大会総会
昭和63年 (1988) 10月:第40回に本良導絡自律神経学会と並行して第1回メデイカルアキュパンクチャー、ハーブ・メデイシン国際学会を宮崎市にて開催。
昭和62年 (1987) 6月:武重千冬氏が副会長に就任。 第39回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
昭和61年 (1986) 8月:兵頭正義副会長(大阪医科大学麻酔科教授) が会長に就任。 第38回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
昭和60年 (1985) 11月:会則を整理する。 北海道支部設立。第37回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。9月:田村喜弘会長ご逝去。兵頭正義副会長が会長職代行される。5月:メキシコ チワワ市の「第1回ラテンアメリカ鍼灸学会学術大会」に招待される。 2月:学術大会の運営方式を改め、次期ならびに次々期大会会長を選任し、開催の一切の権限を委任し、全役員、事務局員は大会会長の責務遂行に協力する。
昭和59年 (1984) 11月:日本学術会議法改正に伴い、「日本良導絡自律神経学会」は学術研究団体登録制の指定を受ける。 研究連絡委員会「第7部生理科学」。第36回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。6月:ソビエト連邦政府の要請により、モスクワにて良導絡講習会を開催。
昭和58年 (1983) 11月: 第35回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
昭和57年 (1982) 11月:東日本良導絡自律神経学会は日本良導絡自律神経学会東日本支部と改称。 以後地方学会は支部と呼称することになった。第34回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
昭和56年(1981) 11月:野津会長の退任により、田村喜弘会長(京都大学名誉教授・島根医科大学副学長) が就任された。 第33回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。6月:WHO(世界保健機構) の依頼により、キューバ政府の要人(医師) に良導絡を指導。
昭和55年(1980) 11月:第32回日本良導絡自律神経学会 学術大会総会。
昭和54年(1979) 11月:本会評議員は、本人の同意を得て、今後は名誉会員に推載する。 野津会長、及川、兵頭副会長の呼び掛けにより中谷良導絡記念会を設立。第31回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
昭和53年(1978) 11月:第30回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。 4月:中谷義雄会頭ご逝去、以後会頭不在とする。
昭和52年(1977) 11月:本会創設者中谷義雄氏に限り終身会頭とすることに決定。 第29回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。
昭和51年(1976) 10月:第28回学会より、本学会の学会開催は毎年秋季に行うことに決定。 9月:良導絡東南アジアツアー総勢40名参加。
昭和50年(1975) 11月:学会賞・中谷賞を制定、毎年総会時に授与する。 第27回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。9月:メキシコシティーの「第7回国際学校保険医学会」に参加。メキシコ国公認の姉妹研究所「メキシコ良導絡研究所」を設立。
昭和49年(1974) 4月:第26回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。 その他:ソ連医師団に「良導絡」指導、以後ソ連の医学教科書に記載される。
昭和48年(1973) 11月:第25回日本良導絡自律神経学会総会を東京にて開催 会場:サンケイ会館国際ホール8月:大阪朝日テレビ:ABC「えぷろん」に6週出演。5月:インターナショナルペインシンポジウム(国際疼痛学会) の招聘を受け、学会活動として参加、同時に、UCLAやニュー・ヨーク大学はじめ米州各地で良導絡講習会を行う。 アメリカ合衆国50州公認の姉妹研究所「北米良導絡研究所」が設立される。
昭和47年(1972) 4月:第24回学会より、学会開催は年1回とすることに決定。 良導絡医療ジャーナル旬刊新聞を発行。
昭和46年(1971) 11月:第23回日本良導絡自律神経学会学術大会総会。 8月:ポルトガル・リスボンの「第6回国際学校保険医学会」に参加、良導絡治療の発表ならびにデモストレーションを行い銀メダル受賞、世界的反響を受ける。4月:第22回日本良導絡自律神経学会 学術大会。
昭和45年(1970) 7月:第21回日本良導絡自律神経学会総会(良導絡20周年記念講演会)を東京にて開催 会場:サンケイ会館国際ホール3月:第20回日本良導絡自律神経学会総会(良導絡20周年記念講演会)を大阪にて開催会場:大阪府医師会館2月:NETテレビ「アフターヌーンショー」に出演始まる。13週に亘って放映。
昭和44年(1969) 11月:第19回日本良導絡自律神経学会総会を東京にて開催 会場:サンケイ会館4月:第18回日本良導絡自律神経学会学術大会。1月:野津 謙 氏(日本サッカー協会会長、国際学校保健協会副会長)、本会の会長となる。 以後、良導絡はますます体育保健医学との関わりを深める。
昭和43年(1968) 11月:笹川会長逝去。 9月:日本良導絡学会は分立した。医師は学会名を「日本良導絡自律神経学会」と改称し、会長は笹川久吾教授が留任、深町副会長ならびに鈴木正夫千葉大学名誉教授を学会顧問とした。機関誌名を「日本良導絡自律神経雑誌」に改称。本部を大阪医科大学麻酔科内に置き、事務局を大阪市大淀区中津本通1-4 藤井ビル内に置いた。 鍼灸師は従来の鍼灸良導絡学会または日本鍼灸良導絡学会というものを統合して一本化し、「日本鍼灸良導絡医学会」の名称を使用した。本部を大阪市住吉区苅田町6-8 関西鍼灸柔整専門学校内に置き、事務局は大阪市阿倍野区天王寺和田大学堂内に置いた。 5月:香港、台湾を迎えてアジア医学学術会議を大阪府医師会館において開催。4月:医師側の発言で鍼灸側は分立を考える。